八高線の脱線転覆事故

昭和22年(1947225日の朝、日高市(当時高麗川村)上鹿山地内で発生した八高線の事故を皆さんはご存知でしょうか。

これは、終戦後の食糧難で、ヤミ米やイモなどの食料を求め、東京都内や周辺の都市部から埼玉や群馬など近郊の農村へ向かう買出し客があふれていた時代の事です。

その日の八王子6:48発の高崎行き下り列車も超満員で出発しました。途中駅からもさらに乗客を乗せて東飯能を7分遅れで発車、鹿山峠を越え、201000の下り勾配に差し掛かったところでブレーキが故障。そして制限55キロの速度をはるかに上回る勢いで半径250メートルの左カーブに進入し、蒸気機関車に牽引された6両の客車のうち、後部4両が脱線転覆。死者187名、重軽傷者497名(近代消防)の国鉄史上稀に見る大惨事となりました

その直後から狂ったような半鐘が鳴り響き、いち早く駆けつけた消防団員(当時は警防団)や周辺住民が総出となって救助活動に当たったそうです。

戦中から戦後にかけ、資材をはじめ、保線要員や熟練機関士の不足で安全対策もままならず、おまけに老朽化した木造の客車を酷使していた面や、何としても定員の3倍にもなった買出し客が乗っていた事など、特殊な時代背景が大きく関わっていたと言わざるを得ないでしょう。

今回の安全大会では、この事故現場の近くにお住まいになり、実際に救助に加わった消友会長の比留間文雄さんから貴重なお話を聞く機会を得られました。

当時の忘れ得ぬ光景を目の当たりにした人からは、今もなお語り継がれ、私達も日高市内であった出来事の一つとして心の片隅におき、近くを通った際にはそっと手を合わせる気持ちを持ちたいものです。

                                            撮影:細田様